福岡護国神社で出会った書

山本五十六氏の手紙

日米開戦前、知人に宛てた手紙だと思われます。(複製です)

山本五十六の手紙

拝啓

益々御清健、このたびは浦波号にて南洋を御視察相成候よし奉多謝。

世上、机上の空論を以て国政を弄ぶの際、躬行以て自説に忠ならむとの真摯なる御心掛けには敬意を表候。
但し海に山本在り以って御安心などは迷惑千万にて小生は単に小敵たりとも侮らず大敵たりとも懼れず
聖論と奉じて日夜孜々と実力の練成に精進致し居るに過ぎず、
恃む處惨として驕らざる十萬将兵の誠忠のみに有之候、
併し日米開戦に至らば我がめざすところ素よりグアム比律賓(フィリピン)にあらず、
将又布哇(ハワイ)桑港(サンフランシスコ)にあらず、
実に華府(ワシントン)街頭白亜館(ホワイトハウス)との盟ならざるべからず
尚〔ここの一字だけ不明〕方政家果して此本腰の覚悟と自信ありや

祈御自重 真々不具
一月七日 山本五十六

昭和16年(1941)1月7日に書かれた南洋開発事業にあたっていた在京実業人に宛てた手紙です
(同年12月8日が真珠湾攻撃)

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1943年(昭和18年)4月18日ラバウルの基地を飛び立った山本五十六はブーゲンビル島近くで米戦闘機に撃墜される。
同年5月21日に戦死が公表され、6月5日に日比谷公園内で国葬。

毎年、終戦記念日近くには、戦争関係の書物が発刊され、山本五十六氏に関した書物も書店に並んでいました。彼は越後出身でポーカーが得意なアメリカ通の将軍です。当時の日米の国力・工業生産力の違いも把握していて、戦えば負けると分かっていたから、戦前は開戦反対、阻止の立場で海軍大臣と共に行動するが、海軍高官という立場で、外部の人に真意を述べることはできなかったようです。

(越後長岡藩は、幕末戊辰戦争で奥羽越列藩同盟側について官軍に敗北したためか、
明治維新後も、国の要職に付く人は少なかったようです。)

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郷土研究会員のご助力をいただきました。
ある方から、上の手紙は同じ物が複数あることを教えて頂きました。山本五十六は、戦後も人気があったので、複製の手紙を所蔵されている方もあるようです。この神社所蔵のものも複製だと聞きました。

参考:太刀洗飛行場

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