福岡県指定無形民俗文化財

三百数十年の昔、この地では毎年9月15日、王子若宮八幡宮の神事として継承されてきたもので、八幡宮の例祭に素朴な花火を奉納し、豊作と平穏を祈っていたが、天保年間(1830~1843)この地の麓に住む久留米藩砲術指南、古川辰之進氏が代々、住民に花火の製法を教え伝えた。(久留米市史第六巻に記載:「古川家資料」)
この花火は導火の妙趣と、震天動地の雷鳴を伴って炸裂する猛火が瞬間花火となって暗黒の空に千変万化飛び散る様は、親蜂子蜂の乱舞を連想させ、連発する大小の爆音は山骨湖底に反響し、その色彩と轟音とは観客の耳目を奪うものがあり、名付けて動乱蜂と唱えた。以来動乱蜂の製法は幾多の困難に耐えて伝承し、今尚祭礼日に発揚しているわが国でも稀な民俗行事である。
(注)昔は、指の太さ位の破竹(大小の太さ)に火薬を詰めたもの4500個を作り、150個ごとに大きな筒に入れ、5段に設置したそうです。(昼間撮影:王子池周辺と動乱蜂仕掛けの骨組み)しかもそれらの向きはバラバラで、王子若宮八幡宮の神社脇の木に吊るして着火したそうですから、参詣の人たちは神社の縁の下、あるいはゴザを使って火を避け、火の粉に当たると「ご利益がある」としていたそうです。さすがに近年になると危険であるということで、神社上の池に場所を移し、水面の方向に花火を上げるようになりました。大小の花火がまっすぐでなく、らせん状に動くのが独特な方法で、まるで親蜂、子蜂が怒って巣から飛び出す様子になぞらえて動乱蜂と名前が付けられたと考えられます。
久留米市教育委員会発行の「郷土の文化財」によれば池のほとりの高所に準備される【蜂の巣】は「親蜂」「子蜂」「爆音」「仕掛」などと呼ばれる仕掛け花火50本ほどで組み上げられるそうです。
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