夜明山朝日寺

由緒

元禄年間、虎渓和尚が朝日寺を再建され、
元禄8年、第5世・龍山和尚の時、梅林寺・方室大和尚をはじめ多くの観音信者の援助を受けて、
観音堂に三体の観世音は久留米藩七代藩主・有馬賴徸公により都で彩色を加えられ、開帳されました。

その時、公は、常に戸を開いて三尊を拝ませるようにと仰せられ、更に一体の観世音を寄進され、これを奥の院とされました。

開帳は元禄の頃より始まり、15,6年毎に行っていましたが、文久3年、明治11年、明治29年、その後は12年毎に開帳して、如意円満、家内安全、生来安楽のために大法要を行うようになりました。

本堂の落慶法要 (2016年5月7・8日)

落慶法要:寺院の建物を新築・再建、または修築し落成して催される祝賀儀式

1日目 7日(土)午後2時から

本堂内での法要には、梅林寺をはじめ、多くの和尚さん達の姿がありました。
回り行:稚児達も参加し、僧侶と一緒に堂内を回り、時々、堂の外へ出て、再び本堂内部へ

(子供達は隣の大善寺小学校の体育館で着付けと化粧を済ませています。)

回り行1回り行2

回り行3回り行4

回り行5 鐘の合図回り行6

2日目 8日(日)午前8時から

境内の夜明納骨堂→大善寺小学校→夜明神社の横→朝日寺正門までを練り歩きます。

稚児行列の台車

本堂から出た仏様は、小さな台車に乗せられ、稚児行列の子供達がこれを引きます。
この仏様は久留米藩主・有馬賴徸公が寄進されたそうです。
また、観音堂の三体の仏像も賴徸公が都で彩色させたといわれています。
日頃の行いが悪いので仏罰なのか、姿がはっきり撮影できませんでした。

稚児行列の出発前

着付け等で遅れる子たちがいても、皆さんは穏やかに 待っておられました。

綱を引く稚児たち

全体の先頭から住職・御詠歌を歌う女性達(10人ほど)
それに続く稚児行列(周囲はカメラを持つ人も多く・・台車はほとんど見えません。)

稚児行列の前・御詠歌隊 夜明け神社前で

子供の家族も一緒に移動するので結構な人数です。(夜明神社前)

2本の引き綱を引く稚児と保護者達

稚児・稚児行列

平安時代、お寺に預けられた子供を指し、彼らは行儀見習いや僧侶の手伝いをしていたようです。稚児行列も御仏様に奉仕する修行の一環とされています。
また、子供自身の無病息災を願い、豊かな心を持ってほしいという願いも含まれています。

(朝日寺では12年に1度、申年の御開帳時、稚児行列をおこないます。)
朝日寺から朝日山神社を経由して朝日寺へ戻ります。

通りを行く一団

朝日寺の山門:道路から少し奥にあり、控えめながら雰囲気があります。

朝日寺山門

山門から、観音堂をみると、槇の枝振りが見えます。

朝日寺入り口

信徒や・お寺の皆様に接して、穏やかな優しさに何度も触れることができました。
ありがとうございました。

境内の大木

資料

久留米藩主・有馬賴徸(1714-1783)

16歳で久留米藩主となった
数学書「捨璣算法」全5冊:明和4年(1767)出版・・豊田文景という変名で書いた
(山路主住に関流の奥義を学んだ)
大川・若津神社の「少将祭り」は彼に関係するお祭りです

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