夜明山朝日寺

住所:久留米市大善寺町夜明1095

由緒:夜明山朝日寺は神子栄尊禅師が寛元3年(1245)に開いた臨済宗の寺院である。

山門まで
道路から山門まで奥行きがあり、途中左側には鞭松石の碑があります。

山門
山門

観音堂
観音堂(聖観音・不空羂索観音・十一面観音:推定・鎌倉時代の作)が安置される。

久留米藩七代藩主・有馬賴徸公により京都で彩色され開帳された。
その時、常に戸を開き三尊を拝ませるよう仰せられたという。

「神子栄尊禅師」

栄尊禅師像

福岡県指定有形文化財(彫刻)
木造神子栄尊座像 一軀
所在・久留米市大善寺町夜明1095
指定・昭和53年3月25日

栄尊は平康賴の子といわれ、母は筑後三潴荘の藤吉種継の娘である。

平康賴は1177年(治承元年)、鹿ヶ谷の陰謀で流された鬼界が島から赦されて帰洛途上に娘と偶然出会い、娘は朝日をのみ込む夢を見て栄尊を身ごもったという。
口から光を発する子供を裏の竹藪に捨てたところ(大善寺小の不毛霊碑)

山本町の永勝寺・元淋和尚が男の子の夢を見て、翌朝その場所に行ってみると男の子がいたので寺に連れ帰り心を込めて育てた。朝日寺の寺号である「夜明山」もこの話からきたものと思われる。

建久6年(1195)筑後三潴莊に生まれた
(「豊鐘善鳴録」によると(建久乙卯:6年)6月26日、筑後三潴莊に生まれた)
建仁元年(1201)栄尊、七歳の時に出家
嘉禎元年(1235)円爾弁円(聖一国師)とともに中国(宋)に渡り、無準和尚の元で修行し、帰国後、京都関西を行脚した後、肥前水上万寿寺、筑後朝日寺、慶福寺、 肥前報恩寺、豊前円通寺などの寺を開いた。
寛元三年(1245)生を受けたこの地に朝日寺を創建して開山第一世となった。
これらの功により、文永五年(1268)に亀山天皇から神子禅師号を贈られ、4年後の文永9年(1272)78歳の生涯を閉じた。

像は鎌倉末期の作で、像高110cm、座高75cm、桧材の寄木造である。玉顔の鋭い面貌、鎖骨をみせる胸の一部や咽喉部の描写など、鎌倉時代・頂相彫刻(禅僧の肖像彫刻)の写実性をよく伝えている。現在はすべて黒漆によって塗られているが、胎内に嘉元二年(1304)の造像銘、裳先の裏に永正十年(1513)の修理銘がある。

夜明山朝日寺
竣工 平成15年6月久留米市教育委員会

(境内の説明看板を参考にしました)

間近で見ることができて感激しました。

残念なことに熊本地震で、像が倒れ、左肩部分にヒビが入っていますが、鎌倉時代の頂相彫刻、貴重な彫刻です。

鞭松石

鞭松石

栄尊禅師が松の枝を鞭のかわりにして馬を進めていた時、落雷があり、雷は禅師の手にした松の鞭をたよって天に昇ったという。

禅師がその松の枝を地中にさすと、まもなく大きな松に育ったので、これを鞭松と称するようになった。その松は、今はもうないが、のちに石碑が立てられた。

現在は参道から民家側に出張った形ですが、昔は参道の幅が広かったのでしょう。

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