大善寺玉垂宮

鬼夜

(国指定重要無形民族文化財)

2010大善寺鬼夜ポスター

玉垂宮

久留米市大善寺町宮本に鎮座する玉垂宮は、古来、筑後国三潴庄鎮守、高良御廟院大善寺玉垂宮と称し、盛時には衆徒45坊、社領3,000町を有した朝野の崇敬あつい古社であります。

祭神は、玉垂宮(藤大臣=トウダイジン・高良玉垂大菩薩とも称した)八幡大神・住吉大神で、創建は古く、凡そ1,900年前の創祀と伝えられています。
神宮寺の高法寺(弘仁5年=814年、大善寺と改称)は天武天皇の頃、白鳳元年(672)法相宗の僧、安泰和尚により開基されました。

このように、大善寺の玉垂宮は、長い間、寺院と神社が一体的に祀られた典型的な神仏習合の神社でしたが、
明治2年(1869)の廃仏毀釈で大善寺は廃され玉垂宮のみ残り、現在に至っています。

しかし往時の大善寺の遺構である鐘楼をはじめ阿弥陀堂(鬼堂)や旧庫裡が現存し、神仏習合時代の面影を色濃く残しています。

毎年正月7日に行われる鬼夜は、数百人の裸の群像と日本一といわれる六本の大松明による壮観な追儺の火祭りで、
この地方の年頭を飾る代表的な祭りで、
国の重要無形文化財に指定されており、
日本三大火祭りの一つといわれています。

大晦日の夜から正月七日までの鬼会(オニエ)といわれる行事の中、最後に行われるもので、おによ(鬼夜)とよばれています。

鬼会は、大晦日の夜に燧石(ヒウチイシ)でとった御神火(鬼火)を神殿に灯し、
神官が斎戒沐浴して七日七夜守り続けて、天下泰平・国家安穏・五穀豊穣・家内安全・災難消除の祈願をします。
その満願の日が正月七日の鬼夜です。

鬼夜の行事:

昼の鬼面尊神の神事と種蒔き神事。
夜の大松明廻しと鉾面神事・鬼の堂回り行事

中でも鉾面神事は、祭神が妖族退治をした有様を示すものといわれ特色ある行事です。

夜の行事を飾る大松明廻しは、直径1m余り、全長13mの六本の大松明が、
裸の若者たちによって支えられ、火の粉を散らしながら本殿の周りを勇壮に廻ります。

この間、鬼役は姿を隠したまま、シャグマの子供たちに囲まれて鬼堂の周囲を7回半回り、
社前の霰川で禊をして神殿に帰るという珍しい行事で、
我が国の鬼の民俗を考える上で極めて示唆に富む行事といわれます。

人の世と異界の境を守るシャグマ(赫熊)
頭にかぶり物をしたシャグマ役のこども10人ほどは、
鬼堂に籠る鬼を人目に触れぬよう連れ出し、
1年間、人々の 悩み・苦しみを受け取った鬼に
暗闇の中、川で禊をさせます。

日程(7日の午後)

午後1時~4時 鬼面尊神の神事
7時すぎ 裸の若衆の境内参集
8時 汐井汲み神事(汐井口開け)
8時10分 シオイカキ
8時50分 境内全消灯)
9時 タイマワシの松明下揃い
9時20分 大松明に点火
9時30分 鉾面行事
9時40分 大松明始動 → 10時 大松明本殿西側止め
10時 鬼の堂回り)
10時20分 一番松明の火取り
10時30分 一番松明惣門くぐり
10時30分 一番松明消火
10時40分 鬼の禊)
10時50分 大松明2周目
11時 厄鐘
11時20分 大松明すべて消え行事終了

行事の見どころ

若衆の境内参集(7時すぎ)

川の向こうからも玉垂宮へ橋を渡って玉垂宮へ

幼児も父親と一緒幼児も父親と一緒に参加しています

小さな子も父親に連れられて同じいでたちで参加

手々振の先導で移動

各組は「手々振」の先導で移動してきます

楼門をくぐって本殿へ

汐井汲み神事(汐井口開け、8時)

汐井かき 汐井かきへ

本殿前で気勢を上げて、神社前の石段を下りて川中へ

階段を下りて川中へ川の中央部まで

気温3~5度位だと思いますが、川の中ほどの四角く区切られた場所で汐を汲んで帰ります。

汐を汲む


煙がすごかったのですが、幻想的な雰囲気になりました。

夜の最初の行事で、晒を巻いた裸一貫の若衆の禊行事です。 一番松明から順次、松明ごとに隊伍を組み、手々振を先頭に手に手に提灯、小松明をかざして、
気勢をあげ、勇壮に社前の禊場と本殿の間を2往復します。境内は参道を中心に一面火の川となります。

大松明に点火(9時20分ごろ)


落ちてくる大量の火の粉は、葉の付いた枝で払い落し、
松明が燃え進むと、人が登って縄を切りますが、燃え盛る火のそばに行くのだから、大変な熱さだと思われます。

切られた縄が落ち、その燃え端を持ち帰る人もあります。(縁起が良いらしい)

縄切り

鉾面神事(9時30分ごろ)

鉾が青・赤の鬼面を先導する赤鬼青鬼鉾を受け取る赤鬼

赤鬼面が鉾に続いて登場、青鬼面も・・それぞれの付き人(?)から鉾を受け取る

(資料:「そら抜いだア」)へ続く

一番松明の惣門くぐり

鬼の堂回りが終わると、一番松明は鬼堂の東側で「火取り」をして下向坂を下り、参道をくぐります。
燃えさかる大松明が狭い惣門をくぐり抜ける様は見ものです。
一番松明だけの特権ですが、最も緊張する場面です。そのあと汐井場に向かい、役目を終え、消火されます。


一番松明から本殿横に移動し、若衆が上って、
巻いてある縄数本を切り落として燃えやすくします。
松明を支える棒「刈又」
大松明・火の下は火の粉が・・

補足説明

大松明作り

正月4日午前中に7地区の総賦役で作られる。

材料は全部竹を使い、芯に大きな孟宗竹を3本束ねて、その周囲に笹竹を寄せて回し、さらにそのうえを直径3~4センチほどの真竹で包み込んで化粧竹とします。

火をつける頭には枯杉葉を入れ、切り口を揃え、この上に頭の方から七本・五本・三本と縄を掛けて結ぶ。
根元側からも七五三と縄を掛け男結びにする。

胴をしばる縄は2本回しで365本。大松明の根元はかずらの蔓で縛り、尻引き綱を付けます。

大松明を支えるのは二又になった樫の棒でカリマタとよんでいます。
大松明の全長13m、火口の径1m余り、重さ1,200kg。

・鬼夜の由来

「吉山旧記」(薬師寺縁起ともいう)によれば、
仁徳天皇56年(368)1月7日藤大臣(玉垂宮)が勅命により、異国へ内通し、悪徒を集め当地を荒らし人民を苦しめていた肥前水上の桜桃沈輪(ユスラチンリン)を闇夜に松明を照らして探し出し、首を討落し、茅を集めて焼いたのが始めとあります。1600年余り前のことになります。

桜桃沈輪を討伐後、この地方に様々な災危が起ったため、桜桃沈輪の霊を慰めることで、この災危を免れるためだと教えていただきました。

(菅原道真の霊を慰めるために創建された天満宮と共通した印象を受けました)

これに加え、1年間、人々の悩み・苦しみを受け取った鬼の禊ぎが行われています。
人のためにはたらく良い鬼なのですね。
(日本独自の自然に対する姿勢や考え方に通じています、今後とも大切にするべきものです)

(さらに詳しい説明)

参詣のご案内

大善寺・鬼夜・火祭り案内

・交通機関

・駐車場

・参拝について

行事開始は午後8時ですが、
参道・拝殿は行事のため混雑しますので、早めに参拝をお済ませください

鬼夜当日の有料桟敷スタンド有ります

問合せ:大善寺玉垂宮社務所:

久留米市大善寺町宮本1463-1
℡:0942-27-1887

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