福岡県無形民俗文化財 筑後市久富の盆綱曳き

盆綱曳きの先頭

前のめりの体勢、汗だくで曳く先頭の大人たちが「毎年クックッと後ろから引かれるような気がするけれど、あれは誰かが綱を踏んどるんやね」という声を聴きました。
引上げて欲しい亡者が綱にとりついているのかも・・・。

当日雨だったので、目から上には煤が付けられていません。

久富の盆綱曳き由来

他の地方で見られる盆綱曳きの多くは、大綱を引き合った結果で豊作・豊漁を占うものですが、ここのは「施餓鬼」行事で、不幸にして成仏できない気の毒な亡者を、お盆の一日だけでも地上に引き上げ、極楽浄土に招き、食べ物など与えようという観音信仰に基づく慈悲の供養です。

1626(寛永3)年、当地にある龍ヶ山徳随寺の本堂落成行事の時、第4代釈宗伝は「日蓮尊者が地獄に落ちた母を綱で地上に引き上げた」という仏教の故事に倣い、門徒宗によって綱引きをさせたといわれます。

その15年後、1641-42(寛永18・19)年、西日本一帯は旱魃に見舞われます。(寛永の大凶作)

また筑後川の氾濫後に害虫が異常発生。太陽はカンカンと照り、米・麦・アワ、野菜が大不作。ため池もカラカラとなって、大変な食糧不足となり、飢餓や病気で死体が路上にゴロゴロ・・・。

(徳川実記には「餓死者路上に相望む・・・古蓆をまといて倒れ伏すもの巷に満ちたり・・・」と記されています。
ちなみに徳川実記というのは徳川家康から10代将軍家治までの記録で全516冊)

気の毒な亡者たちを、お盆の一日だけでも極楽浄土で慰めるという盆綱曳きが、信仰の熱心な共同体の中心である観音様に助けを求めるようになったと考えられます。

行事が始まったのは1643(寛永20)年と言われるので、380年も前のことです。

わらで作った腰蓑、頭には荒縄の角を付け黒鬼(地獄の釜番)と化した子供たち(昔はカマドの煤を体に塗ったそうです)「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声と共に町内を曳きまわします。

藁と菰で作られた綱の重さは400kg、長さ20m、直径40cmとか。

本部前で盆綱は輪にされて、その中に腰蓑が置かれています

終点の本部前には曳綱と腰蓑が置かれて・・・。

久富の観音堂

観音堂の横には接待のお茶が用意されていました。
行事の中心になる久富熊野神社には、
平成9年まで観音堂を社殿にした社が建っていて、
昔から「お観音さん」として人々に信仰されていて、今でも9月の村祭りを「お観音さん夜渡」と呼んでいます。

link:( 筑後市観光協会ちくてく新聞東から

当日の久留米はかなりの雨で「延期かな」と思って遅れてしまい、撮影もほとんどできず、雨の中、高級なカメラを防護しながら 走り回っておられる高齢者のカメラマンに比べて自分が恥ずかしくなりました。次回こそはといつも思っている怠け者の働き蟻です。

当日頂いた資料や現地看板・ポスターを参考に作成しました。

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