豊福孝行

1934年(昭和9)10月10日-2013年(平成25)6月12日

1934年 福岡県北野町(現 久留米)農家に6人兄弟の長男として出生
家の農耕馬をたくさんスケッチしたが、父親が焼却した。
1941年 第2次大戦始まる。 1945年8月11日 久留米大空襲  8月15日 終戦
1953年 福岡県立明善高等学校卒業
在校中、美術教諭 山村秀一氏と出会う
甘木鉄道で高校へ通うが、裸足で通った時もあったらしい。
(進路は東大仏文か芸大か迷うが、芸大油画科に一席合格)
1957年 東京芸術大学油画科卒業。
1959年 東京芸術大学専攻科・林武教室修了
4月 神奈川県立海老名中学校教諭に赴任
(以後68年まで中学・高校で教鞭をとる)
1961年 作家活動を本格的に開始。
東京・大阪・福岡で個展を中心に発表
1968年 神奈川県立川崎高等学校教諭を退職。
九州産業大学芸術学部講師となる。
九州芸術工科大学非常勤講師となる(72年迄)
1972年 九州産業大学芸術学部助教授となる。
1973年 渡欧
スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ベルギー、フランスで取材
1977年 赤堀尚、笠井誠一等と「和の会」を結成。
2001年迄、年1回, 銀座和光にて発表
1983年 国外研修員として1年間、フランスに滞在
1988年 九州産業大学芸術学部長に就任(6年間)
以後、九州産業大学大学院科長を歴任
2004年 大学を退任し、画業に専念する。
九州産業大学芸術学部教授 退任記念 豊福孝行展
を同大学美術館で行う。
2013年 永眠(享年78才)

自画像
自画像
模様の中の静物
模様の中の静物(1990年)F30号

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緑の中の赤い家(1995年)F50号

このモチーフも繰り返し取り組んできたものであるが、緑の濃い夏の制作ゆえ
色面の対比に重点を置き、赤い屋根と道、植物の形等を模様的に整理することを 心がけ描写的な要素を敬遠した。制作のねらいは、形の交差や重なりによるダイナミズムである。

「芸術(絵)と数学について、これを職業としてはいけない」と言ったのは、たしか私の今住んでいるここの国の誰かの言葉です。

私達にとって絵をかくということは現実をしっかりみつめていく力を養うことだと思っております。現実から逃避することなく、たとえそれが目をそむけたくなる様な「みにくさ」であっても、私達にその力があればそれも一つの美だと思うわけです。

泥の会展によせて 豊福孝行(1983年 6月パリにて)


スケッチ

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