けしけし山(兜山)にある青木繁之碑

毎年、青木繁の命日前後(1911年3月25日)
久留米市日吉町順光寺(青木繁の墓)⇒兜山青木繁之碑前でけしけし祭が催されています。

繁の歌碑案内図

左写真は兜山、キャンプ場上の筑後川・平野を見下ろす
眺望の開けた地に、坂本繁二郎(当時66才)、山本町豊田の地元有志(香櫨亭の香月徳男氏等)が柳坂から大八車で上げられたとの事です。

(昭和23年3月25日除幕)

生前、青木繁が肉親に宛てた便りの中にある以下の内容を繁の弟一義氏が実行したものです。

「骨灰は、ついでのときに高良山の奥のケシケシ山の松樹の根に埋めてください。小生はあの山のさみしい頂より、思い出多い筑紫平野をながめて、この世の怨恨と憤懣と呪詛とを捨てて、静かに永遠の平安な眠りに就きたいと思います」(原文は候文)

この時繁の指骨が埋められたということです。

坂本繁二郎が除幕式の「建碑の辞」の冒頭で「遺言は故人の御令弟一義氏により成就されました」と読み上げられています。

この青木繁之碑の裏面には坂本繁二郎の筆による青木繁の絶唱
「わがくには つくしのくにやしらひわけ はゝいますくに はじおおきくに」が刻まれています。

(「しらひわけ」とは)

坂本繁二郎の筆による青木繁の絶唱歌碑背面から見た筑紫平野の眺め

筑後川の眺望

高良山下の朝妻の辺りでできたものでしょうか、
青木繁の残した句「夏草や 朝妻越えて 昼支度」

home ・ map(みのう北麓)