稲次因幡公彰徳
享保13年(1728)8月、生葉、竹野、山本、三郡の農民は藩の重税に堪えず減税運動の一揆を起こした。、総勢5700余人が凶器を持って善導寺に集まり御井町までおしよせた。
27才の若年家老稲次因幡正誠は単身主謀者と会見して、
- 1)農民の要求に応ずる。
- 2)以後の税は一割一歩減税。
- 3)主謀者の処刑はしない。
という約束の下に解散させて農民の苦しみを救った。
喜んだのは農民だったが、
家老仲間の不満、藩公の怒りは後年藩主襲封の問題とからんで津古の庄屋斉田氏宅に幽閉させられ3000石の家老から十人扶持の士となり、二年後没した。
行年35歳。罪ある身だったので、この墓地に葬った。
後年久留米に五穀神社が建立されるにあたり、公の霊を合祀して永く農民の神として仰ぐことにした。
昭和50年2月
小郡市教育委員会
小郡市郷土史研究会
霊鷲寺にある稲次因幡墓前の解説板