有馬監物(けんもつ(篤長)

島原の乱で長崎に出兵した時の総帥
寛永14年(1637)10月:
島原の乱が起こった時、豊氏と世嗣忠郷(後の2代藩主・忠頼)は江戸にいた
11月:
久留米藩主に島原一揆討伐の命が下ると、監物らは藩士を島原に遣わし、実情調査などをして準備を整えた
11月下旬:
天領日田と、長崎の目付から島原出陣と長崎警備の命を受け、国老・有馬監物は長崎警備の総帥となる
11月28日:
久留米発、肥前諫早に渡海、
12月7日:
長崎に到着。長崎警備に少数の者を残して監物たちは島原の久留米陣所に合流した。
寛永15年正月元旦:
総攻撃には全軍苦戦
2月27・8日:
最後の総攻撃でも奮戦した。

和歌をよくした人だったという

元禄7年(1694)2月27日没。享年66歳。墓は寺町宗安寺。

(久留米人物誌:篠原正一)

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