大乗院稲荷神社

大乗院稲荷神社

由来

徳川家康公が江戸に幕府を開いてから19年の後(1622年)、
有馬豊氏公が丹波の国福知山より、久留米の地に入られたとき、大乗院稲荷神社も丹波の国からお遷しされた。

場所は、現在のブリヂストン久留米工場敷地内(久留米城址南町)であった。

正和4年(1647年)2代藩主・忠頼公の時代に、久留米城内二の丸で祀られていた「日吉神社」が、現在の日吉町にお遷しされた。

その時、「大乗院稲荷神社」も一緒にお遷しされたが、
寛保2年(1742年)久留米城内二の丸の御殿内(現在のブリヂストン久留米工場敷地内)の南町にご再興された。

このご再興は、改築されたものか日吉神社からご分霊されたものか定かではない。

昭和の時代に入ると稲荷神社は、篠山神社の境内にご分霊され大乗院稲荷神社は次の3柱となった。

この内の、ブリヂストン久留米工場内に建立されていた大乗院稲荷神社は、
ブリヂストンの会社設立以来、ブリヂストン久留米工場の歴代工場長の手により、初午祭月次祭などを執り行ってきた。

この由緒あるブリヂストン久留米工場内の「大乗院稲荷神社」を平成13年(2001年)に「地域の方々とともにお祀りしてゆくことが、地域のためにもなる」との考えから、現在のこの場所(けやき通り、久留米城への道交差点近く)にお遷しされ、地域の方々とともに大切にお祀りされているものである。

平成13年 株式会社ブリヂストン久留米工場

*)有馬藩2代目:有馬忠頼

*)篠山城と書かれていますが、正式名称は久留米城です。

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